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あれから100年『盗まれたモナ・リザ』 

今日はレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作『モナ・リザ』にまつわるお話をしてみようと思います。
本当はこの事件が起きてからちょうど100年だった去年の8月にするつもりだったんですけどね、、
あれぇ?いつの間にこんなに月日が( ̄ェ ̄;)、、まぁ約100年ということでお許しを<(_ _)>


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レオナルド・ダ・ヴィンチにより1503~1506年にかけて描かれた『モナ・リザ』
今やパリ/ルーヴル美術館のシンボル的存在であり子供から大人まで知らない人はいない有名な絵画。

この「世界の」とも言える至宝が、もしも誰かに盗まれてしまったら・・??


a0207108_891150.jpg今から遡ることちょうど100年ほど前、その事件は起こりました。事件が起きたのは1911年8月22日の朝。
当時『モナ・リザ』は今と同じくルーヴル美術館に展示されていました。いつものように美術館にやってきた職員や見物客。するとそこにあるべき『モナ・リザ』が、
ぬぁい!! ∑(゚Д゚;lll) 

もちろん、美術館をあげての大騒動となりました。
と言っても撮影や修復で移動させたのかな?などと思われ、盗まれていることがきちんと分かるまでかなり時間がかかったそうですが。。

一体誰がなぜどうやって盗みを働いたのか・・??
最後はどこでどのようにして見つかるのか・・??

そもそもルーヴル美術館では前年の1910年に絵画や彫刻などの美術品を傷つける犯罪が相次いだことから、この『モナ・リザ』を保護ガラスでできたガラスケースに収めていました。しかし翌年の1911年にはあっさり盗難。


それもそのはず、盗みを働いたのはそのガラスケースの設置作業に加わっていた人物だったからです。
彼の名はヴィンチェンツォ・ペルッジャ(Vincenzo Peruggia)。スイスとの国境にあるドゥメンツァ(Dumenza)出身のイタリア人。そしてペルッジャの大工仲間であったランチェロッティ兄弟。

絵のある場所やケースの外し方など熟知していた彼らにとって、『モナ・リザ』を盗み出すことなどまさに「お茶の子さいさい」な作業だったんです。


a0207108_8404269.jpg彼らが実際に犯行に及んだのは8月22日ではなく、
その前日の21日。この日は月曜日で美術館はお休みでした。
休館日は絵の移動などの作業で館内が雑然となるため、
そのどさくさにまぎれようという魂胆だったわけです。

彼らはさらにその前の日に一般人を装って美術館を訪れ、閉館後倉庫の中に身を隠し夜が明けるのをじっと待ちました。

そして翌朝ルーヴルで作業が始まると周りに誰もいないのを確かめ手際よく『モナ・リザ』を外し、作業服の下に隠して今度は職人を装いながらごく普通に美術館を後にしました。


こうして「美術史最大の窃盗」をいとも簡単に成功させた彼ら。捨てるように残されていた額縁。。
必死の捜査にもかかわらず犯人は見つからないまま、ルーヴル美術館の館長は責任を問われ解任されてしまいます。


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さてここで触れたいのは「なぜ彼らは危険を冒してまで『モナ・リザ』を盗んだのか?」ということ。
そんなに『モナ・リザ』がほしかったのか、、あるいは売りさばいて大儲けしたかったのか、、

実はこの窃盗には彼らを操った黒幕がいるとされています。
その人物の名はエドゥアルド・デ・ヴァルフィエルノ(Eduardo de Valfierno)、アルゼンチン人。


この人↓↓↓ 名前が長いのでここでは「エド」とします。

a0207108_19323159.jpgエドはもともと裕福な家庭に生まれ美術品に囲まれて育ちました。しばらくはこれら美術品を売りながら生計を立ててたんですが、それも尽きると今度は非常に精巧な贋作を描くイブ・ショドロン(フランス人)と手を組み名画の偽物を売り始めます。

悪知恵の働くエドは巧みな方法で顧客を騙し最初は南米で大儲けしていたんですが、そのうち『モナ・リザ』に目をつけ一攫千金を狙うようになります。


そしてエドはショドロンに6枚の偽モナ・リザを描かせました。それらは本物を見てただ模写するだけではなく、ルネッサンスの画法や当時の道具、古い絵画特有のひび割れに至るまで徹底的にこだわって完成させたものでした。

さてここでエドが考えた筋書きはというと、、、?

それは実際に『モナ・リザ』を盗んでしばらくのあいだ隠し、その間に「実はここに本物がある」と偽って贋作を売りつけるというものでした。モノがモノですから、それを買った人たちも誰に言うでもなく見せるでもなく、また、もし本物が見つかったとしても真の本物は自分の手元にあると信じているため騒ぎにもならないというわけです。

用意周到なエドは『モナ・リザ』盗難の騒ぎが起こる前にあらかじめニセモノをアメリカなどへ運び込み、次に美術館内部に詳しい職人を探して前述のペルッジャらに言葉巧みに近づきました。
そして万が一彼らが盗みに失敗しても自分だけは捕まることがないよう当日のアリバイ作りも万全でした。エドの一大計画は万事上手く行き、贋作をアメリカで5枚、ブラジルで1枚売って計40億円もの大金をせしめたということです。


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さてそんな筋書きも、そしてエドの本名さえも知らないペルッジャたち。。

彼らは多額の報酬を受け取りますが、外国へ旅立ってしまったエドとはそれっきり音信不通となってしまいます。『モナ・リザ』を盗んだ後それを旅行カバンの中に入れベッドの下に置き、2年以上もの間パリ市内のアパートに隠し持っていたペルッジャ。。彼はエドからの連絡をずっと待っていましたが、その間お金を使い果たして経済的に困難な状況に陥り、とうとう無断で『モナ・リザ』を売ることを決意します。


a0207108_2333992.jpgヴィンチェンツォ・ペルッジャ
(Vincenzo Peruggia)


1913年冬、彼はフィレンツェの古美術商アルフレード・ジェーリ(Alfredo Geri)に手紙を出しました。

「〜今その"絵"は私の手中にある。そしてそれはイタリアにあるべきだ。なぜならレオナルドはイタリア人だからだ。」

そう書かれた手紙には「レオナルド」とサインされ、50万リラ(250ユーロ/約26,000円)が要求されていました。

興味を抱いた古美術商ジェーリは1913年12月11日、
ペルッジャの宿泊先であるフィレンツェのトリーポリ(Tripoli)というホテルで彼と会う約束をとりつけます。

そして約束の日、当時Uffizi美術館の館長だったジョヴァンニ・ポッジとともにホテルを訪問。
例の"絵"を詳細に調べた結果、まさにこれは本物の『モナ・リザ』であると判断し警察に通報しました。


逮捕されてしまったペルッジャ。。

しかし彼はあくまで「イタリアの文化遺産を取り戻したかった」を主張。
イタリア国内では『モナ・リザ』をフランスから奪還したとして英雄扱いされ、裁判でも厳しい宣告を受けることはなく7ヶ月の拘留で終わったそうです。

一連の事件の真相が明らかになったのはそれから数年経った1921年。
エドについてペルッジャは何も語らなかったため真実は迷宮入りだったんですが、エド自身が友人の記者に告白していたようで、エドが死亡した翌年にそれらが世間に公表されたということです。


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『モナ・リザ』はなぜフランスにあるの?


『モナ・リザ』がフランスに渡ったのはフランソワ1世がそれを気に入り当時フランスに招かれていたダ・ヴィンチより直接買い取ったからです。『モナ・リザ』はダ・ヴィンチのお気に入りで、誰に売ることもなく後生大事に彼の手元に置かれていたんですが、さすがにフランス国王には譲らざるをえなかったようですね。

『モナ・リザ』はその後ルイ14世によってヴェルサイユ宮殿へ、さらにフランス革命後には一旦ルーヴル美術館へ移されますが、ナポレオンの寝室に飾られたり、また第1次・第2次大戦の勃発で再びあちこちに動かされたりしながら戦後やっと今の状態に落ち着くこととなります。

イタリアに戻って来た『モナ・リザ』でしたが所有権はフランスにあるということで、再びルーヴル美術館へ返されてしまいました。


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・・ということで、盗難に遭い世間を騒がせた『モナ・リザ』は、なんとここフィレンツェで発見されたんですね!さらにその発見の場となったホテル、名前は変わりましたが実は今でも健在なんです!


a0207108_11322181.jpga0207108_11324287.jpgLa Gioconda
ラ・ジョコンダ

<住所> Via Panzani 2
<Tel> 055 211023
*ホームページ(日本語)

S.M.N.駅からドゥオーモに向かう大通りの途中にあります。フロントの上には『モナ・リザ』の絵が。
ちなみに発見された部屋は3階の20号室だったそうです♪


イタリアではどちらかというと『モナ・リザ』より『La Gioconda ラ・ジョコンダ』の呼び名が一般的なんですが、これは絵のモデルとなったのがフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻(エリザベッタ)であるという説に由来しています。

フランチェスコはフィレンツェの裕福な商人で、政治的にも権威を持っていた実在の人物。「Gioconda ジョコンダ」←「Giocondo ジョコンド」を女性形にしたもの。

また「Monna モンナ(伊)」は既婚婦人につける敬称/Madonna マドンナの省略形で、「Lisa リザ」はエリザベッタの愛称です。


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by girasole7 | 2012-04-10 18:33 | おもしろ昔話/伝説 | Comments(2)
Commented by hibikore-koujyo at 2012-05-10 10:50
以前、私は何も知らずにそのホテルに友人と泊まり、帰国してから知りました!もうちょっと探検するんだった! 綺麗なホテルでした~。
Commented by girasole7 at 2012-05-11 07:16
あのホテルに泊ったことがあるんですね!
でも「モナ・リザ事件」のことを後で知ったというのはホント残念(≧ω≦)
私もちょっと探検してみたいです^^