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カテゴリ:おもしろ昔話/伝説( 6 )

イタリア版 「ハチ公物語」

1987年に日本で公開された映画 『ハチ公物語』。
実話をもとにつくられたこの感動的なストーリーに涙した人も多いでしょう。
2009年にはアメリカでリメイク版も公開され、今や世界的に有名な『忠犬ハチ公』。

実はここイタリアにも同じようなストーリーがあるの、ご存知ですか?

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舞台となるのは、フィレンツェの北に位置するムジェッロ地方、「Luco del Mugello/ルーコ・デル・ムジェッロ」という名の小さな田舎町。時は1941年の冬に遡ります。。

*** ***

自宅から約5km離れたボルゴ・サン・ロレンツォの町工場で働くカルロ・ソリアーニさんは、その日もいつものように工場から帰宅しているところでした。
すると途中、傷を負った仔犬が用水路でうずくまっているのを発見。
彼はその仔犬を保護し自宅で飼うことに決め、「FIDO/フィード」と名づけました。

「FIDO」は信頼、忠実といった意味合いを持つ言葉なんですが、イタリアでは犬に名づけられるわりとポピュラーな名前のようです。

この「フィード」は猟犬や番犬としてはあまり優れていませんでしたが、飼い主であるカルロさんのことが大好きで彼にとても懐いていました。

フィードは毎朝5時半にカルロさんと一緒に起床し、バスが出発する広場まで飼い主を送り届けると、夜の7時には再び広場へ戻って来て彼の帰りを待ちました。

カルロさんはそんなフィードをからかって時々わざとバスから降りなかったり隠れたりしてたんですが、そんなときフィードはバスの中まで探しに来て、ちゃんと自分の飼い主を見つけ出したそうです。

*** ***

つづきはこちら
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by girasole7 | 2012-06-23 08:34 | おもしろ昔話/伝説

あれから100年『盗まれたモナ・リザ』 

今日はレオナルド・ダ・ヴィンチの代表作『モナ・リザ』にまつわるお話をしてみようと思います。
本当はこの事件が起きてからちょうど100年だった去年の8月にするつもりだったんですけどね、、
あれぇ?いつの間にこんなに月日が( ̄ェ ̄;)、、まぁ約100年ということでお許しを<(_ _)>


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レオナルド・ダ・ヴィンチにより1503~1506年にかけて描かれた『モナ・リザ』
今やパリ/ルーヴル美術館のシンボル的存在であり子供から大人まで知らない人はいない有名な絵画。

この「世界の」とも言える至宝が、もしも誰かに盗まれてしまったら・・??


a0207108_891150.jpg今から遡ることちょうど100年ほど前、その事件は起こりました。事件が起きたのは1911年8月22日の朝。
当時『モナ・リザ』は今と同じくルーヴル美術館に展示されていました。いつものように美術館にやってきた職員や見物客。するとそこにあるべき『モナ・リザ』が、
ぬぁい!! ∑(゚Д゚;lll) 

もちろん、美術館をあげての大騒動となりました。
と言っても撮影や修復で移動させたのかな?などと思われ、盗まれていることがきちんと分かるまでかなり時間がかかったそうですが。。

一体誰がなぜどうやって盗みを働いたのか・・??
最後はどこでどのようにして見つかるのか・・??

そもそもルーヴル美術館では前年の1910年に絵画や彫刻などの美術品を傷つける犯罪が相次いだことから、この『モナ・リザ』を保護ガラスでできたガラスケースに収めていました。しかし翌年の1911年にはあっさり盗難。


それもそのはず、盗みを働いたのはそのガラスケースの設置作業に加わっていた人物だったからです。
彼の名はヴィンチェンツォ・ペルッジャ(Vincenzo Peruggia)。スイスとの国境にあるドゥメンツァ(Dumenza)出身のイタリア人。そしてペルッジャの大工仲間であったランチェロッティ兄弟。

絵のある場所やケースの外し方など熟知していた彼らにとって、『モナ・リザ』を盗み出すことなどまさに「お茶の子さいさい」な作業だったんです。


a0207108_8404269.jpg彼らが実際に犯行に及んだのは8月22日ではなく、
その前日の21日。この日は月曜日で美術館はお休みでした。
休館日は絵の移動などの作業で館内が雑然となるため、
そのどさくさにまぎれようという魂胆だったわけです。

彼らはさらにその前の日に一般人を装って美術館を訪れ、閉館後倉庫の中に身を隠し夜が明けるのをじっと待ちました。

そして翌朝ルーヴルで作業が始まると周りに誰もいないのを確かめ手際よく『モナ・リザ』を外し、作業服の下に隠して今度は職人を装いながらごく普通に美術館を後にしました。


こうして「美術史最大の窃盗」をいとも簡単に成功させた彼ら。捨てるように残されていた額縁。。
必死の捜査にもかかわらず犯人は見つからないまま、ルーヴル美術館の館長は責任を問われ解任されてしまいます。


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by girasole7 | 2012-04-10 18:33 | おもしろ昔話/伝説

小さな小さな謎の扉

a0207108_516689.jpg中世の面影が今もなお色濃く残るフィレンツェの旧市街を歩いていると、時々このような小さな小さな扉を目にすることがあります。設置されている高さはだいたい胸から顔くらいの位置。木で出来た扉部分の大きさは、縦30cm x 横20cmくらい。
大きな玄関扉の横や窓の下など、どれも中途半端な位置にぽつんと作られています。では、いきなりですが問題です。
これらは一体何の目的で使われていた扉でしょうか?
下記から一つお選び下さい。

1、郵便受け
2、ワインの販売
3、飼い猫の出入り口
           
a0207108_516369.jpg




写真・・Palazzo Pazzi, Via del Proconsolo 10 





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正解は3番目の「飼い猫の出入り口」。

・・であってほしいところですが(猫好きなだけに)、本当の正解は2番目の「ワインの販売」です。

昔々、裕福な貴族や商家の人々はフィレンツェの城壁の外に広大な土地を所有しており、そこで大量にワインを生産していました。当然ながら自分たちでは消費しきれず、余りが出てしまいます。その余ったワインは欲しい人に自由に売ることができたんですが、メディチ家・君主の命令で「Porticina (ポルティチーナ)」と呼ばれるこれらの小さな扉を通して行うよう義務付けられたのです。
これはおそらく不審な人物を不用意に建物の中へ入れないための安全策でしょう。
また買う側もこの方が気楽ですよね。大きなお屋敷の扉を緊張しながら叩く必要もなくなります。
お屋敷によっては夜中までワインを売っていたところもあったようです。
*もちろんワインのお店もちゃんとあったんですが、それ以外でも余ったワインを個人的にこのような方法で売ることが認められていたということです。

つづきはこちら
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by girasole7 | 2011-10-25 00:05 | おもしろ昔話/伝説

続・いつも開いている窓

*先日の「いつも開いている窓」をまだご覧になってない方は、先にそちらをご覧下さいませ。

a0207108_319426.jpg
さて、この「いつも開いている窓」の記事を書くにあたって、私をひどく悩ませたことがありました。
それはその「窓」があるのがPrimo Pianoプリモ・ピアノ(1階、日本で言う2階)なのかSecondo Pianoセコンド・ピアノ(2階、日本で言う3階)なのか、一体どっちなのかということです。

本やインターネットで調べてみると、たいてい「セコンド・ピアノの最後(右端)の窓」とあります。
しかし、一部の地元の人の話や近くの*バス停に書かれている内容では「プリモ・ピアノの最後(右端)の窓」とあります。

では実際に自分で確認しに行ったらいいんじゃないか、、、、、、、ええ、確認しました。何度も。。。
でも右端にタテに並んだそれらの窓は、いつ見ても二つとも同じように開いていて、どっちが「例の窓」なのか全く判断できないのです。


できればここの住人に直接話を聞きたい、、そう思い(念じ)ながら建物を眺めていたら、ある時、運良く、一人の紳士がその家の中から出てきました(念じた甲斐があった!)。
このチャンスを逃してはならない!
その家の関係者ではない可能性もありましたが、私は意を決して突撃インタビューを試みることにしました。
その紳士は見た目もきちんとしているなら応対もきちんといしていて、私の不躾な質問にいやな顔もせずちゃんと答えてくれました。

紳士曰く、「世間ではセコンド・ピアノとも言われていますがそれは間違いで、実際はプリモ・ピアノなんです。なぜならセコンド・ピアノは後から増築されたもの、つまり当時はまだ存在していなかったからです。」
「セコンド・ピアノの窓も常に開いているのは、その、、つまり、、あちこちでセコンド・ピアノと公表され、そう思い込んでいる人がたくさんいるからです。」

・・・ということで、本当は「プリモ・ピアノの窓」が正解。「セコンド・ピアノの窓」はそう思っている人たちのためにわざわざ開けているだけ、ということでした。             

・・・紛らわしい。。っつーか、真実を貫く意志なし。。

さらに、「広場の中央にある騎馬像は、彼女が帰りを待っていた夫だという噂がありますが、本当ですか?」との問いに、「いえ、それも違います。あの像はメディチ家出身、トスカーナ大公三代目のフェルディナンド一世です。彼女の夫ではありません。夫だということにするとロマンチックなので、そういう噂が広まっているだけです。。。」

・・・言われてみれば、騎馬像には確かに「FERDINANDO PRIMO フェルディナンド一世」と書かれています。
彼女の夫の像ではなかったのは大変残念でしたが(ジーンとしていただけに)、でも大きな収穫を得る事はできました。


家に帰り、さっそくその事をヴィーに報告してみました。すると、、、
ヴィー曰く、「プリモ・ピアノじゃなくて、「セコンド・ピアノ」が本当だ。自分は「セコンド・ピアノだけ」が開いているのをこの目で見たことがある。」「それにあの建物は後から建て増ししたんじゃなくて、最初っからあの大きさで建てられたものだ。3階建てというのは当時の建築スタイルの典型だ。大体どうやったら増築しているように見えるんだ。」・・とのこと。(す、すごい自信・汗)

まさにその家の関係者がプリモだと(+増築しているものだと)言っているにもかかわらず、それを全面的に覆しあくまでもセコンドだと言い切る大胆さ。さすが自称フィレンツェ通のヴィー氏。彼の右に出る者なし。


・・・なんだかプリモでもセコンドでも、どちらでもいいような気がしてきました(さすがに疲れた)。
ま、とにかくそういう伝説があるということで、今日のところは終わりにしたいと思います。



a0207108_6233732.jpga0207108_524486.jpg←サン・マルコ広場のバス停
(例の「窓」のあるサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場は、このすぐ近くです。)ここには「窓」についての伝説が書かれています。そしてしっかり「Primo Piano プリモ・ピアノ」とも書かれています。
たまにですが、その近辺にまつわる伝説が、このようにバス停で紹介されるようになりました。最近のATAF(フィレンツェ市内バス)は洒落たことをなさる。。

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by girasole7 | 2011-06-19 06:22 | おもしろ昔話/伝説

いつも開いている窓

ダヴィデ像で有名なアッカデミア美術館のそばに"Santissima Annunziata サンティッシマ・アンヌンツィアータ"という名の広場があります。この広場は同名の教会や捨て子養育院美術館があることで知られていますが、その他にもう一つ、知る人ぞ知る地元でちょっと有名なものがあります。

a0207108_813194.jpg
それは『いつも開いている窓』

この窓のある建物は"Palazzo Grifoni Budini Gattai パラッツォ・グリフォーニ・ブディーニ・ガッタイ"

広場からDuomoドゥオーモの方を見ると、道をはさんで二つのPalazzoが建っていますが、問題の建物は右側、レンガ造りの赤茶色の方となります。


その「窓」はPersianaペルシアーナと呼ばれる日よけで閉められていますが、よく見ると下の部分が一部開いているのが分かります。なんと、その部分は何世紀も前からずぅ~~~っと開いたままなんです!!

なぜずっと開いたままなのか・・・
それにまつわる古い言い伝えがあります。その言い伝えとは・・・


*** *** ***


むかしむかし、、、
あるとても美しく若い娘がグリフォーニ家へお嫁に行きました。彼女は夫を心の底から愛し、それはそれは幸せに暮らしていました。しかし、二人の幸せは何ヶ月と続きませんでした。
夫グリフォーニ氏が、他の貴族たちとともに戦場へ赴くこととなったからです。

別れの日、武装し馬に乗った彼は家紋を掲げ仲間とともに去っていきました。
娘は例の「窓」から涙ながらにそれを見送りました。

それ以来、彼女は刺繍などをしながら一日の大半を窓のそばで過ごすようになりました。
そしてときどき広場に目を向けては、夫の帰りをじっと待っていました。

時は過ぎ、彼についての知らせは一向に届かず。。。
さらに悪いことに巡礼者や商人が運んでくる戦についての噂も決して良いものではありませんでした。
しかし彼女は悲嘆することなく窓の外の様子を見ながら待ち続けました。

何年もの月日が流れていきました。彼女はとうに若い娘ではなくなっていました。
日が経つにつれ彼女は少しずつ諦めるようになりましたが、しかし窓のそばを離れることはありませんでした。そこにいると短くも幸せだった夫との日々を思い出すことができたからです。

さらに時は過ぎ、彼女はもはや年老いた老婆となっていました。
彼女のお気に入りの時間は、相変わらずその窓から外を眺めることでした。
広場では子供たちが戯れ、商人たちは柱廊の下で商いをし、農民たちは荷車を引いて市場へ向かう...
窓の外にはそんなありふれた日常の世界がありました。

しかし彼女の記憶の中にはいつも、「軍旗を掲げ武装した騎士たちが出発していく...」
そんな映像が残っていました。。。

・・・・・・・・・

...そして彼女はその部屋で亡くなりました。
彼女の亡き骸を運び出す時、ふと誰かがその窓を閉めようとしました。

すると、部屋の中で大混乱が発生!!
本は宙に舞い、家具はグラグラ揺れだし、ランプの灯りは勝手に消え、絵は次々と床に落ち...

彼女の遺族は皆大変な恐怖を覚えました。
そして先ほど閉めようとした窓をまたすぐに開け放ちました。
...と、全てが落ち着き部屋の中はまた元の平静な状態に戻った、ということです。。。

それ以来、その「窓」は常に開いたままとなっているそうです。
彼女の魂がいつでも広場を眺めることができるように。。。


*** *** ***


a0207108_8123725.jpg現在その広場の中央には一体のブロンズ製の騎馬像があります。
よく見るとその騎馬像は右斜め上方を見上げています。
そしてその視線の先には→ → → → → → → → → → → → → →

そう、あの「窓」があるんです!本当に!!
まるで自分帰りをずっと待っていた愛する妻に、「今帰ったよ。」
と告げているかのよう!!


じ~~ん、、勝手に感動。。。(*TωT*)


話はまだつづきます、、、ではまた明日。

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by girasole7 | 2011-06-18 07:11 | おもしろ昔話/伝説

"GALLO NERO" の由来

a0207108_714715.jpgCHIANTI/キアンティワインの並ぶ棚を見ていると
「黒いニワトリ」のマークがよく目につきますね。

これは"GALLO NERO ガッロ・ネーロ"と呼ばれ
直訳すると’’黒オンドリ’’となりますが、、このマークはすなわち
「正真正銘、本家本元のキアンティ産のワインである」
ということを意味しています。


a0207108_7162417.jpgでは、「CHIANTIと書いてあるのにGALLO NEROのマークがついてないものはキアンティワインではないのか?」と問われそうですが、やはりCHIANTIと書いてあれば、それもキアンティワインということになります。


両者の違いを簡単に説明しますと、前者は「大昔から今もなおキアンティと呼ばれている土地」のワインで、後者は「キアンティと名付けることを許可されたその周辺の土地」のワインとなります。

そしてこのGALLO NEROの付いたワインはもちろん、それが付いてなくても本家本元のキアンティ産であれば、ワインのラベルに必ず "CHIANTI CLASSICO"と書かれています。「CLASSICO クラッシコ」とはクラシック、つまり昔からの由緒あるキアンティ地方の伝統的なワインということです。

*Chianti Classicoは、Chianti産のSangioveseサンジョヴェーゼという黒い品種のブドウが80%以上使われていなければならないなど、さらにいくつかの厳しい基準があります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


前置きが長くなりました、、、それではさっそく本題に入りたいと思います。

「GALLO NEROの由来」
~なぜ本家本元のキアンティには’’黒オンドリ’’のマークがついているのか~

ここからは地元の人に直接聞いた、古くから伝わるお話です。
話は中世にまでさかのぼります。


・・・昔々、フィレンツェとシエナは町の境界線をめぐりいつも争ってばかりいました。
それらの町の間にはオリーブとブドウがたわわに実る肥沃な大地「キアンティ」がありました。
そこを占めることは、双方にとって非常に重要な意味がありました。

なかなか決着のつかない長く激しい戦い。
この血なまぐさい争いに疲れ果てた両者の間に、ついにある仲裁案が持ち上がりました。

それは、「両町の騎士が明け方オンドリが鳴いたと同時にそれぞれの町を出発し、二人が出会った地点を境界線にする」というものでした。

昔は今のように正確に時を刻む時計がありませんでした。
そこで出発の合図としてオンドリが用いられることになったのです。



こうして最終的な境界線の決定は二人の騎士、そして二羽のオンドリに委ねられることになりました。

シエナでは白いオンドリが選ばれエサがたくさん与えられました。
そうすれば明け方、より大きな声で鳴くだろうと思われたからです。

フィレンツェでは黒いオンドリが選ばれました。
しかしエサはほとんど与えられませんでした。



そしていよいよ決戦の朝がやって来ました。すると、、、、



満足にエサを与えられていなかったフィレンツェの黒オンドリは、空腹のあまり日の出よりもずっと早い時間に目を覚まし、「キーッキリキィィィ」と声高に鳴き始めました。
フィレンツェの騎士はそれを合図に馬に飛び乗り、全速力で走り出しました。

一方、シエナの白オンドリは満腹ゆえにずっと眠ったまま。
シエナの騎士はオンドリが鳴き出すのをずい分長い間待たなければなりませんでした。



・・結果、二人の騎士が出会ったのはシエナの城壁からわずか12kmしか離れていない地点でした。
こうしてフィレンツェは、キアンティのほぼ全域を自分たちの手中に治めることができたということです。





これはフィレンツェの作戦勝ちですね。

・・「本家本元キアンティと黒オンドリの関係」、なんとなく分かって頂けたでしょうか。

それにしてもこんな単純な方法で領土争いの決着がつくところがすごいですね。。
「オンドリを合図に出発」とありますが、不正がないよう双方に見張りが付いてたんでしょうか。
そもそもオンドリはそんなに正確なんでしょうか。。。いろいろ気になるところです。
注意:イタリアではニワトリの声は「コケコッコー」ではなく「キッキリキー」となります。


ちなみに現在もキアンティ地方は一部を除きフィレンツェ管轄となっています。

それではみなさん、GALLO NERO を飲んで中世に思いを馳せてみましょう。


a0207108_8232121.jpg<キアンティ地方とは>
フィレンツェの南に位置するトスカーナで最も美しい風光明媚な土地の一つ。
GreveグレーヴェやPanzanoパンツァーノをはじめ、趣のある小さな町がいくつも点在します。
なだらかに続く丘にはオリーブ畑やブドウ畑が広がり、特に上質の赤ワインの産地として有名です。( 写真:Panzano in Chianti )


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by girasole7 | 2011-06-10 07:30 | おもしろ昔話/伝説